アショカの問題解決方法は、日本社会に変革を起こすと確信した。
「私がアショカを知ったのは2000年ごろ。課題に対する対処療法は日本でも行われていたけれど、その効果は一時的で根本的な解決にはなりません。一方で、問題の根本を見つけてシステムから変えていくアショカのやり方は、対処療法の数千、数万倍の効果があります。この方法は絶対に日本でも知られるべきだと思ったのです。当時の日本もすでに多くの問題があったから」と当時を振り返るアショカ・ジャパン代表の渡邊奈々さん。
「私はまずアメリカ・ワシントンのアショカ本部の門を叩いたが当初、余り反応はありませんでした。まずは日本社会の実情を理解してもらうことが必要だと思い、「若者の無気力」「引きこもり」など、日本が抱える成熟した社会ならではの問題のデータをアショカに送ることにしたのです。バブル期の元気なイメージとまったく違う日本社会を見て、彼らはとても驚いていました。こうしたやり取りを重ねて、アショカ・ジャパンが設立されたのは2011年のことです」と続けます。
6人のフェローに続いて、未来のチェンジメーカーも着実に育っている。
活動を始めてからの7年でアショカ・ジャパンが社会に与えたインパクトは、正直まだ小さい。けれど、6人のフェローを中心に変化の芽は生まれて、影響は少しずつ広がっています。
変化の波は次世代を担う若者にも届いていて、ユースベンチャーという取り組みは、頭に描いていた以上に進んでいます。ユースベンチャーとは、自分のまわりの矛盾に気づき、それを変えたいという深い想いを持つ12歳から20歳のための実験の場。彼らに共通して見られた「エンパシー(他者の心に自分の心を重ねるという能力)」「自分の中を深く覗く内省力」「リスクをとる勇気」「レジリアンス(失敗から立ち上がる力)」の芽を引き出すため、100%自由な環境を与えます。
日本では2012年から本格的にスタートして、2016年の5月までに69組のチーム(1チーム3~5名)が輩出されました。中には大学を卒業したらそのまま起業する若者も出てきて、未来のチェンジメーカーは着実に育っています。社会を変える下地はでき上がりつつあるのです。
「普通の人に社会は変えられない」という思い込みを変えたい。
「生まれた変化の芽をさらに大きく育てるには、企業セクターの構造的変革が鍵になると私たちは考えています。グローバルには、アショカとベーリンガー・インゲルハイム(ドイツの大手製薬企業)との協働はその例です。日本では2016年の7月から企業向けにチェンジメーカーとの出会いを提供する、キャンペーンを開始しました」と渡邊さん。
教育も鍵の一つ。対処療法のようにすぐに成果が出ないし、そもそも「普通の人に社会は変えられない」という深い思い込みが、人にも社会にも染み込んでいます。「変える能力」や、「エンパシー」などのスキル習得を支援するチェンジメーカースクール(小・中・高校)の取り組みは本当に重要です。アショカではチェンジメーカースクールの認証を世界中で4年前から始めて、認証校はすでに28カ国の100校を超えています。
「日本人は<小さく、控えめに>を美徳とするけれど、日本ではなく、はじめから世界を見て考え、踏み出してほしい。<私たちは世界を変えられる>という想いから出発しないと、大きな変化を生み出すことはできないのだから」とその思いを語ります。