
バブル崩壊後、社会のありかたを熟考。
過疎化する村で「農村起業」をスタート!
日本のアショカ・フェロー5名のひとり、曽根原久司さんは、1995年に東京から山梨県の農村へ移住しました。政府系金融機関の経営コンサルタントとして、バブルの崩壊を目の当たりにし、これからの社会のありかたをじっくり考えた末の決断でした。そして、耕作放棄地(農家の廃業などで放置されている土地、遊休農地とも言う)を手に入れ単身で農地に再生、また誰も活用していない森林資源を利用して林業も始め、数年で生計を立てられる規模にまで育てたのです。長野県の農村出身の曽根原さんは、農業の知識は充分に持っていました。しかし、それだけがこの「農村起業」を成功させた訳ではありませんでした。
荒れ果てた農地、森林、あふれる美しい自然…。
農村に眠る資源は「宝」の山
高齢化、過疎化がすすむ日本の農村では、コミュニティの未来は決して明るくは見えません。農業の衰退は、日本の食料自給率をも低下させています。ところが、この悲観的な状況のなかに「宝」がひそんでいることを、曽根原さんの鋭いビジネスセンスは感じ取っていました。「全国の田舎に使われていない土地や森林がたくさんある。これを利用しない手はない!農村資源を活用してビジネスを起こす」。これが曽根原さんの説く農村起業です。移住先を山梨に決めたのは、耕作放棄地率が全国第2位、森林率第5位、日照時間が長く水源も豊かな上、美しい自然景観に囲まれている、とあらゆる「資源」が集中している所のひとつだから。綿密なリサーチの後、ここでまず21世紀型グリーン産業のモデル構築をやってみようと決心したのです。
農村と都市を結び、不可能を可能にしたチェンジメーカー
農村資源をビジネスの視点で捉えるという、優れた事業設計能力こそは曽根原さんの最初の試みが成功した理由です。このような起業家をたくさん育てるための人材育成スクールを始めて10年、すでに200名を世に送り出し、地域の特色を活かしたユニークなビジネスがいくつも立ち上がりました。また、企業も高い関心を寄せています。CSR、人材の活性化、新規事業としての農業参入などを目的とし、農村と連携活動するユニークなアイデア、「企業ファーム」プログラムも盛況です。たとえば、東京の企業が社員研修として始めた放棄農地の開墾体験から、栽培したお米で作った日本酒が商品化されるなど。20年におよぶ広い活動は、社会の課題を解決する起業家として大きく評価されています。都心と農村をつなぐ「農村起業」を全国に広め、100万人の雇用と10兆円の産業を創り出す。これは、曽根原さんが描く「新しい村、人、時代」の壮大な、しかし現実的な青写真です。