
チェンジメーカーに聞く、チャレンジを成功させる秘訣。
新しいアイデアを実現しようとするときに待ち受けているさまざまな困難。それを最も実感しているのは、世界の社会問題の解決に挑むチェンジメーカー(社会起業家)ではないでしょうか。この記事では、ANA BLUE WINGが支援しているチェンジメーカーに、彼らがどのように難しいチャレンジに向き合い、どう乗り越えているのか、その秘訣をお聞きしました。この記事が、仕事や人生において新しい挑戦を試みる方々へ、困難に立ち向かう勇気やヒントとなって届くことを願っています。
今回は、安心・安全なトイレを世界中に普及させようと活動する世界トイレ機構(WTO)のジャック・シムにお話を伺いました。
世界のトイレ事情を解決。
人々に健康と尊厳をもたらすユーモアと謙虚さ。
人々が生活を営む上で欠かせないもののひとつ、それはトイレです。このテーマについて話すと、少し恥ずかしい気持ちになる人もいるかもしれません。しかしトイレがないと公衆衛生は危機的な状況に陥り、人々の健康に大きな影響を及ぼします。
世界では今も6億7000万を超える人々が屋外で排泄をしており、少なくとも20億人が排泄物で汚染された水を飲んでいます。劣悪な衛生環境が原因で下痢性疾患になり、命を落とす人の数は年間43万人以上。そして、その多くが5歳以下の子供という現実があります。
こうした深刻な問題に対して、ユーモアを交えながらも効果的なやり方で世界の衛生事情に変化をもたらしているのが、シンガポールの起業家、ジャック・シムが創設した世界トイレ機構(WTO)です。
2001年の設立から20年以上が経ちますが、その間に、安全なトイレを利用できない人々の割合は、世界人口の約40%から25%まで減少しました。WTOがこの結果に大きく貢献したことは間違いありません。
これほど大きな成果を上げられる組織を、シムはどのようにつくり上げたのでしょうか。そして目標を達成するためにどのような手段を用いたのでしょうか。
シムに、不可能を可能にする方法の見つけ方を聞きました。
座右の銘は「正しい問いを立てよ」「道は必ずある」
「母親は子供を産む時に事業計画を立てたりしません。しかし子育ての目的は明確です」とシムは話します。「それはわが子を健康に育て、教育を与え、成功させること。議論の余地は一切ありません。だからこそ母親はどうすれば目的を達成できるのかを常に考え、その方法を必ず見つけ出します。」
WTOの設立当初からシムはこの考え方で活動してきました。当時、衛生問題に関する現実や数値はひどいものでしたが、シムはひとりで活動していました。かつて建設業界で成功を収めたシムですが、衛生に関する世界の状況を変えるには多くの資金やコネクションが必要でした。そこでシムは「問題を解決できるのか」ではなく「どうやって問題を解決するか」を考えました。
シムがこうした考え方をするようになったのは家族の影響です。幼い頃、彼は物事をやり遂げることの大切さを母親と祖母から教わりました。二人は学校教育を受けていませんでしたが、創造性にあふれ、機知に富んでいました。シムの座右の銘である「正しい問いを立てよ」と「道は必ずある」は、二人から受け継いだものです。
他者の視点に立つことで人を動かす
シムが目指しているのは衛生問題を解決することであり、誰が解決するのかは問題ではありません。活動に参加する人が増えれば増えるほど大歓迎で、たとえそれが活動の成果を自分の手柄だと主張する人でも構いません。
シムは単独で資金を調達してトイレの建設を行うよりも、陣頭指揮を執りながら世界中の人々に衛生問題を意識させる活動に注力することで、はるかに多くの人々に変化をもたらしてきました。「私たちは政治家に約束を守るよう促すことで、何億ものトイレを建設したのです。」
しかし最初からすんなりと他者に協力してもらい活動できていたわけではありません。創設当初、シムはどの役所もWTOの理念を支持してくれないことに不満をもっていました。しかしある日気づくのです。「問題は役所の人間が協力してくれないことではなく、自分が彼らを説得できていないことにある」と。「母親はよその家のドアをたたいて回って我が子の世話をしてくれと頼むことはできません。それと同じです。」
シムはリー・クアンユー公共政策大学院の修士課程で行政学を専攻し、4年かけて官僚がどのように物事を見るのかについて学びました。そこで知ったのは、役所は権力や予算、権限といった制約の中で意思決定を行っているということでした。つまり役所の人間が「イエス」と言いやすいようにすれば、物事を動かすことができるのです。より高い地位にある人物の承認と後ろ盾があれば、支援はさらに得やすくなります。
「失敗」ではなく「進行中」だと考える
ある時、シムは段階の異なる複数のプロジェクトを同時に進めてみました。「数を当てるゲームと同じです。1回では当てられなくても20回もやれば1回くらいはうまくいくでしょう?」
たとえすぐに成果が得られなくても、失敗とは考えません。代わりにシムは「進行中」という言い方をします。WTOのプロジェクトには、最初から着実に成果を上げるものもあれば、何年も停滞してから目標を達成するものもあります。大事なのは、どんなアイデアも役に立つときが必ずくることを理解することです。
ユーモアを交えて伝えることの大切さ
トイレの話題を「恥ずかしい」「不快だ」「この場にふさわしくない」と考える人は多いでしょう。しかし一度この話題で笑わせると、人々はトイレについて積極的に語り出します。講演では、シムはトイレをイメージするような衣装を身に着けて、「おしっこ」や「うんち」といった言葉を使いながら、面白おかしく話を進めます。
「何かを伝える時、ユーモアは欠かせない。ユーモアには文化的な変化を起こす力がある」とシムは考えています。「人を笑わせることができれば、話を聞いてもらえます。そのことをミーチャイ上院議員から学びました。」ミーチャイ・ウィーラワイタヤ氏はタイの政治家です。コンドームとエイズの啓発活動を熱心に行い、「ミスター・コンドーム」と呼ばれています。シムが「ミスター・トイレ」と呼ばれているのも決して偶然ではないのです。
ひとたび人々の関心を集めることができたら、次は事実を伝えます。事実とはショッキングであることが多いものです。人々は不公平さに怒りを感じ、行動を起こそうと強く感じます。「『笑い』『衝撃』『怒り』そして『決意』―これが問題解決への4つのステップです。」
WTOのこれから
WTO創設時のシムの目標は、世界中の人々が清潔で安全に管理されたトイレを使えるようにすることでした。すでに目標の達成に向けて大きく前進しています。国連を説得して11月19日(WTOの創立記念日)を「世界トイレの日」に定めたことも大きな成果のひとつです。
「自分の人生で少なくともひとつはいいことをできてよかった」とシムは振り返ります。しかし前進したとはいえ、問題の解決にはまだ程遠い状況です。65歳になったシムの今の目標は、世界のすべての人々に活動に参加してもらうこと、そして自身が世を去った後も長く残る組織をつくることです。